例年この時期は衆議院の委員会配置や党の役職が換わり、国会議員にとっては人事異動の季節です。今回の異動で念願かなって衆議院文部科学委員会の所属になりました。やっと教育政策に国会で関わることができます(党ではこれまでも教育政策に関与しましたが)。
そもそも私が衆議院議員をめざした動機は、外交政策(特にODA政策)と教育政策に関わりたかったからです。20代の頃は発展途上国への国際協力の仕事に従事しておりましたが、ひとくちに「国際協力」といっても、その内部でいろんな専門分野に分かれます。
国際協力の仕事は、熱帯雨林の保護、灌漑水路の建設、難民援助、災害援助、紛争地の平和構築、小学校建設、ストリートチルドレン支援、産業技術の移転など、さまざまな分野に枝分かれします。
私が専門にしたいと思って勉強してきたのは、発展途上国への教育援助、さらに細分化すると紛争地の教育援助や紛争後の教育復興(プラス平和教育)という分野でした。大学院の修士論文は「東チモールとルワンダにおける紛争後の教育システムの復興」というマニアックなテーマでした。
つまり「発展途上国への教育援助」という分野の専門性を深めるなかで、外交(特にODA)に関心が広がり、教育援助に関わるなかで教育政策に興味を持ち、衆議院議員になって外交と教育の分野で貢献したいと思うようになり、立候補しました。
したがって、衆議院議員になったら外務委員会と文部科学委員会に所属したいというのが念願でした。さいわい外務委員会には2度(のべ4年強)所属したことがあります。直近でも外務委員会の理事を務めていました。
しかし、なぜか文部科学委員会には縁がなく、今回の異動で初めて文部科学委員会に所属することになりました。やっと衆議院の文部科学委員会で質問に立つことができます。
道徳教育の教科化、英語教育(外国語教育)の小学校での教科化、大学入試改革、研究助成のあり方、大学教育改革など、政府の方針を問い質したいテーマがたくさんあります。すぐに解散総選挙ということになると質問の機会がなくなってしまうので、できるだけ解散しないでほしいという気になってきます。
その他に常任委員会では、決算行政監視委員会の理事にも就任しました。決算行政監視委員会は、あまり開催されることもないので、希望していなかったのですが、意外にも理事になっていました。また、特別委員会では、希望通りに原子力問題調査特別委員会の理事もやることになりました。
以前に国会対策委員長代理を務めていたときには、各議員の委員会配置を決めるのが仕事のひとつでした。私が委員会配置の原案をつくって、議院運営委員会の手塚筆頭理事に相談し、辻元国対委員長に最終判断してもらう、という流れでした。
今回はさいわいほぼ私の希望通りの委員会配置になりました。ひょっとすると委員会配置を担当する国対委員長代理のT氏が私の後任なので、前任者に忖度してくれたのかもしれません。ありがたいことです。
また、党の役職に関しては、2年間務めた政調会長代理を降りて、副幹事長(財務委員長兼務)になりました。政調の仕事は2年やってそろそろ別の仕事に移りたいと思っていたので、異動を希望しておりました。福山幹事長に配慮していただき、副幹事長になりました。党務もしっかりがんばりたいと思います。以上、秋の人事異動の報告でした。