新型コロナウイルス感染で感染者への差別が散見されます。「東京から来た」という理由だけで感染を疑われ、差別される事例もあるようです。
新型コロナウイルス感染は、自然現象なので仕方ない部分はあります。しかし、差別は100%人為的であり、許されません。
感染してしまったのは、たとえ本人の不注意があったとしても、本人が意図して感染したわけでもないでしょうから、責められるべきではありません。仮に自ら進んで感染した人は責められても仕方ないですが、そういう人はいないでしょう。
まず目先の利益だけを考えても差別は有害です。感染者に対する差別があると、感染した人が正直に申告できなくなります。村八分状態になったり、家族まで差別されるのを恐れて、感染しても隠す人が出るかもしれません(たぶん既に大勢いると思います)。
感染しても隠す人が出てしまうと、感染源が特定できなくなるし、十分な感染防止策も取れず、さらなる感染拡大につながります。「感染しても差別されない」という安心感がないと、「念のためにPCR検査でも受けようか」という気持ちになれません。
軽症や無症状の人が感染を拡大する恐れがあるため、気軽にPCR検査を受けられることが感染拡大防止に効果的だと思います。そういう意味でも感染者に対する差別は、PCR検査の増加を阻害するので有害です。
そもそも差別は許されません。感染者の多くは何の罪もない人です。たとえ「夜の街」感染であっても、不注意だった点に反省を促すのはともかく、感染者を差別すべきではありません。感染者はいかなる理由であろうとも被害者です。
差別は社会を分断し、支え合う社会を壊します。男女差別、人種差別、LGBT差別、部落差別、在日外国人差別など、どんな差別であれ差別に対して寛容になってはいけないと思います。
ドイツの哲学者のマルクス・ガブリエルは次のようにいいます。
民主主義撲滅を掲げる政党を設けるべきか? 答えはノーです。
不寛容な人にも敬意をもって寛容になるべきか? これもノーです。
私も同感です。「汝の敵を愛せよ」という教えもありますが、やはり「差別に対しては不寛容に」が原則だと思います。また、民主主義を破壊しようとする意見に真摯に耳を傾ける必要もないと私は思います。
マルクス・ガブリエルは「民主主義のパラドックス」として「排除する者は常に排除する」といいます。「女性や黒人を排除する人」を排除しなくてはいけないのが民主主義だと思います。
コロナの感染者を排除する(差別する)人は、社会全体で排除しなくてはいけません。差別が無くなるまで、差別する人を排除しなくてはいけません。感染者への差別を助長するような発言は、まともに受け入れるべきではありません。
いろんな意見に耳を傾けることは大切です。しかし、明らかに間違った意見(差別的な意見)に耳を傾けるべきではありません。言論の自由はありますが、他者を差別して人権を侵害する自由はありません。ヘイトスピーチをする自由もないし、感染者を差別する自由もありません。感染者差別に対しては、社会全体で厳しく対処すべきです。
*参考文献:マルクス・ガブリエル、2020年「世界史の針が巻き戻るとき」PHP新書