今日は衆議院外務委員会で久しぶりに質疑を行いました。いくつか質問したなかでメインは、ロヒンギャ問題でした。ロヒンギャ問題については過去にもブログに書いてきましたが、茂木敏充外務大臣にロヒンギャ難民への支援について質問しました。
*ご参考:2017年2月28日付ブログ「ロヒンギャ問題と日本」
ミャンマー西部のラカイン州のいわゆる「ロヒンギャ」と呼ばれる人たちは、ベンガル系のイスラム教徒ですが、何世代にもわたってミャンマーに住んでいます。しかし、ミャンマー政府はロヒンギャを国民とみなさず、国籍を付えていません。ミャンマー国民の多数を占める仏教徒は、ロヒンギャに対して差別意識を持つ人も多く、仏教徒過激派による人権侵害も多数報告されています。
2017年夏にロヒンギャの武装勢力がミャンマー政府の治安部隊を襲撃し、治安部隊や軍が掃討作戦を展開しました。そのなかでロヒンギャの虐殺やロヒンギャへの人権侵害が発生し、隣国のバングラデシュへ70万人以上のロヒンギャ難民が流出しました。
この問題は国際社会、特にイスラム諸国が注目しています。迫害され難民化したロヒンギャがイスラム教徒であることから、国連機関や国際NGOに加えてイスラム諸国の支援も盛んです。イスラム教徒への迫害という文脈でイスラム原理主義テロ組織が勢力を拡大する恐れもあります。追い込まれた難民がテロ組織にリクルートされないためにも、国際社会による難民への支援は重要である、といった趣旨を説明し、日本政府の支援状況を質問しました。
日本政府もJICAや国連機関、NGOを通じて既に一定程度の支援活動を行っています。前外相の河野太郎外務大臣はロヒンギャ問題にも関心が高く、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプを訪問したり、ミャンマーとバングラデシュの両国に働きかけたりしていました。
しかし、日本政府の支援は、国連機関経由の間接的な支援が中心です。予算的にも十分とは思えません。アジアの経済大国、かつ、人権や環境といった価値を大切にする大国として、アジアの平和に貢献するのは当然の義務だと思います。中国政府の援助はあまり人権や環境に配慮せず、ロヒンギャ問題にも無関心です。日本はこういう時こそ民主国家として、人権侵害や人道問題の解決に力を尽くすべきです。
特にミャンマー側の難民発生地であり、難民が帰還する先であるラカイン州には、JICAを通じて日本独自の支援を行うべきだと思います。日本人の援助機関スタッフが現地に滞在すれば、人権侵害の抑止力になります。外国人(しかも友好国の日本人)がいる前では、ミャンマーの治安部隊や軍もひどいことはしないと思います。マスコミ関係者や援助関係者がそこにいるだけで、人権侵害を抑止する効果があります。マスコミ関係者の立ち入りは難しくても、援助関係者は現地に入りやすい場合もあります。
ロヒンギャの居住地域には多数派の仏教徒も隣接して住んでいます。両方のコミュニティの発展につながるような農業開発やインフラ整備を日本政府が支援することで、両コミュニティの平和共存に貢献できるかもしれません。日本のJICAやNGOには、ミャンマー国内でもバングラデシュの難民キャンプ周辺でも、貧困対策や教育、給水、防災などの分野で支援活動をしてほしいと思います。そのために茂木大臣に対して、JICAにロヒンギャ難民支援の専門部署の設置を提案しました。
また、国際社会の援助が増加すると、国際的な調整の枠組みが必要になります。たとえば、「アフガニスタン援助国会合」とか「インドネシア援助国会合」といった国際会議が開かれ、各国や国連機関が集まって援助調整を行うことがあります。日本が主催して「ロヒンギャ問題援助国会合」を開いてはどうかと提案しました。
いろいろ提案しましたが、あんまり茂木外務大臣には響いていなかったように思います。残念です。安倍政権は「積極的平和主義」という言葉をよく使います。ペルシア湾に海上自衛隊の護衛艦を派遣するのが「積極的平和主義」なんでしょうか。ロヒンギャ難民キャンプやその周辺の貧しい住民のために支援を行う方が、よほど「積極的平和」に貢献できるように思います。
平和学の大家のヨハン・ガルトゥング博士が提唱した「積極的平和」という用語を安倍政権は盗用し、悪用して「積極的平和主義」という用語を使っています。私は大学1年生の時に「平和研究」という授業でヨハン・ガルトゥング博士のいう構造的暴力や積極的平和というコンセプトを習いました。ヨハン・ガルトゥング博士はさぞや怒っていることでしょう。茂木大臣の後ろ向きの答弁には本当にがっかりしました。