共同通信社の2019年9月7日配信の「大学の理系論文数20年間伸びず 競争原理導入、奏功せず」という記事を読み、前々から思っていた通りだと納得し、かつ、危機感を強めました。まず記事を引用します。
日本の大学の理系論文数が、政府による研究予算の抑制や競争原理拡大と軌を一にして2000年ごろから伸びが止まり、20年近く頭打ちの状態になっていることが7日、分かった。世界では米国や中国の論文数が飛躍的に伸びており、質の高い論文数を示す国別世界ランキングで日本は00年の4位から16年は11位に低下。研究活性化策として導入した競争原理の拡大が奏功しなかった形で、政策に疑問の声も出ている。
そもそも「競争原理を導入すれば、研究が活性化する」という前提が誤っています。研究者の自主性や知的好奇心、学問の自由や大学の自治、安定して研究に打ち込める環境といった要素が、研究活性化には不可欠だと思います。この20年ほどの文部科学行政は競争原理導入や市場化に力を入れてきましたが、その方向性が誤っていたことの証左ではないでしょうか。
新自由主義的な行政改革は「競争原理を導入すれば、効率的になる」というイデオロギーに支えられています。実証的に証明されたわけでもないのに、多くの人が「競争原理や市場化が行政を効率化する」と信じて、「小さな政府」へと向かう行革が進められてきました。しかし、この競争原理至上主義のイデオロギーもかなりあやしいことが徐々に明らかになってきています。
たとえば、世界各地で20~30年ほど前に市場化(民営化)された水道事業が、契約更新せずに再公営化される事例が増えています。民営化した結果、長期的な投資がおろそかになったり、サービスの質が低下したり、水道料金が上がったりという事例が多く、市場化や競争原理は万能薬ではないことが証明されつつあります。
以前にドイツの科学技術政策についてブログで書いたことがありますが(下記参照)、ドイツは基礎研究を重視し、大学の自治や研究者の自主性を重んじます。極端なことを言えば、科学技術の研究に関しては、政治家や行政官は「金は出しても口は出さない」という方針でよいと思います。納税者への説明責任はありますが、箸の上げ下ろしまで役所が口を出すような研究助成のあり方はおかしいと思います。
研究助成のあり方は、もっと大学や研究者の自由な取り組みを尊重し、国家の統制色を弱めるべきだと思います。専門家を信頼し、学界や大学の自治を尊重すべきだと思います。官僚統制色を薄め、学問や大学の自由を担保することが、科学技術政策の正常化に向けた第一歩だと思います。
*ご参考:2018年5月14日付ブログ「ドイツの科学技術政策の成功」