2019年8月27日付読売新聞朝刊に早稲田大学のデイビッド・レーニー教授のインタビュー記事が載っていました。読売新聞なので基本的には安倍政権支持の論調であり、同教授も基本的には安倍外交を高く評価しています。しかし、次のコメントは、私が日頃から思っていることと全く同じで、興味深く思いました。
米国では中国系と韓国系が一大コミュニティーを築き、慰安婦を象徴する少女像などの設置も相次いでいる。設置自体はニュースでも何でもないのだが、日本の大使館や領事館が抗議すると、全米的なニュースになる。(球技で言う)日本のオウンゴールだ。
まったくです。日本政府が抗議するからニュースになるわけで、黙っていた方がニュースになりません。また、抗議したところで、理解されるとは限りません。むしろ「政治的圧力をかけた」とか「日本は反省していない」とか、逆に評価を下げることになります。
南京事件とか従軍慰安婦の問題に関しては、国際的な議論の土俵に上がったら負けます。21世紀の人権感覚で戦時中の人権侵害を裁くのが国際社会です。「従軍慰安婦については強制性はなかった」というようなことを言えば、国際社会ではホロコーストを否定しているのと同じように受け取られます。
自分たちの主張を声高に叫べば国際社会が理解してくれると思うのは大きな間違いです。かつて日本会議系の国会議員やジャーナリストが、ワシントンポストに「従軍慰安婦の強制連行はなかった」と主張する意見広告を出したことがありました。結果的に米国内外で大きな批判を招き、逆効果以外の何ものでもありませんでした。愚かな行為でした。
従軍慰安婦問題はいったん決着しているので、「河野談話の立場を踏襲する」と言い続けるしか選択肢はありません。河野談話のポジションを変更するようなことがあれば、国際社会から批判され、日本は異質だと思われます。少女像が建てられようと、黙っていればいいことです。デイビッド・レーニー教授は次のように言います。
日本政府の対応は過剰だと感じる。日本の立場を他国に説明するだけでなく、像に献花するなどの対応があれば、日本に対する見方も変わるのではないか。
自国の歴史の暗部から目を逸らさないことは、弱さではなく、強さだと思います。勇気をもって都合の悪い歴史に目を向けることが必要だと思います。客観的に物事を見るためには、自制心と知性が必要です。安倍外交に欠けているのは、自制心と知性だと思います。