イスラム原理主義テロは“ほどよく”警戒する

フランスのストラスブールでイスラム原理主義テロリストと思われる容疑者による銃乱射事件が起き、3人が死亡しました。その容疑者が逃亡中に警察に射殺されました。こういうテロ事件が起きると「フランスは怖いなぁ」とか「イスラム原理主義のテロは怖いからヨーロッパに行くのやめようか」とか考えるのが人情というものでしょうか。

しかし、最近になってそんなにヨーロッパでテロが増えているのでしょうか?
そんなにイスラム原理主義テロは怖いものでしょうか?

米国で活躍するインド人ジャーナリストのファリード・ザカリア氏によると、欧州におけるテロリズムの発生とそれによる死者は、1970年代は現在の3倍だったそうです。イスラム国の自爆テロ等の印象が強く、いまのヨーロッパは以前より危険になった印象をもっていましたが、統計的にはそうでもなさそうです。

1970年代はイギリスにおけるIRA(アイルランド共和国軍)のテロ、バーダーマインホフ(ドイツ赤軍)やイタリアの赤い旅団、スペインのETA(バスク祖国と自由)等の極左テロや独立闘争が盛んで、欧州でのテロは頻発していました。いまのイスラム原理主義テロよりも死者が多いというのは「言われてみるとそうかなぁ」と思います。

イスラム原理主義テロが危険でないとは言いません。しかし、かつての極左テロほどは被害が多くないことは理解しておいてよさそうです。それに、ヨーロッパ旅行中にテロに巻き込まれて死ぬ確率よりも、ヨーロッパ旅行中に交通事故や強盗殺人で死ぬ確率の方がずっと高いと思います。

たとえば、飛行機事故は派手に報道されるので、飛行機事故を心配しがちですが、死者数は圧倒的にクルマの事故の方が多いです。「移動距離当たりの死亡事故発生確率」といった数値を以前にどこかで見た記憶がありますが、「同じ距離当たりの死者数」で考えれば飛行機はクルマより安全です。

いわば「体感治安」や「体感安全」と実際の治安や安全性の間にはギャップがあります。「体感」を疑って、統計データや調査報告を読んでみると、意外な事実に気づくことがあります。

フランスのテロ事件に脅えて必要以上に危機感をあおり、体感治安を悪化させると、排外的ナショナリズムや人種差別(宗教差別)を容易に引き起こします。あるいは、体感治安の悪化は、不必要な警察国家化や監視国家化の原因になります。冷静に客観的データに基づいて、適度に警戒し、適度に心配することが大切です。まったく無警戒では困りますが、データに基づく“ほどよい警戒感”が大切だと思います。

イスラム教徒への差別や排除は、テロの温床を増やすだけです。むしろ穏健なイスラム教徒や世俗的イスラム教国との良好な関係づくりこそ、力を入れるべきだと思います。イスラム教への理解やイスラム世界との対話に日本も取り組む必要があると思います。