現職議員だったころ阿部知子衆議院議員が企画して、保阪正康さんを囲む歴史勉強会を開いていました。その前から保阪さんのファンだったのでご著書を何冊(何十冊?)も読んでいましたが、ご本人とお会いして直接教えを受けてますます尊敬の念を深めました。
その保阪正康さんの「田中角栄と安倍晋三」はおもしろかったです。多くの方に読んでいただきたいので、ご紹介させていただきます。まず中身に入る前の序章がとても心に残ります。長いですが、引用します。
平成22(2010)年のころであったか、千葉県のある市で講演したときの体験である。講演終了後に一人の高齢の男性が話しかけてきた。年は80歳半ばを超えているだろう、顔には皺が幾重にも刻まれ、杖を突き、50代の娘さんに介助されながらの歩行である。控え室に通すと、娘さんに外で待つように言い、私と2人になるや、「戦争中、私は学徒動員で航空機の整備兵でした」とせわしなく言った。
鹿児島県・知覧にもいたという。かつて陸軍航空隊の基地があり、多くの特攻機が出撃したことで知られている。老人はそこで特攻機の整備にあたっていた。そして彼の口から「私は特攻隊員を5人殺しました」。
彼は沈鬱な表情である。私はすぐにその意味を知った。つまり5人の隊員の出撃を手伝ったというのだ。
特攻隊を描いた最近の映画やテレビドラマを見ると、搭乗員が勇ましげに飛行機に乗り込んで飛び立つ光景を目にする。ある映画では主人公が仲間に「さあ行こう」と微笑みかけて立ち上がる。まるで喜んで死地に赴くようだ。そこまで極端でなくても、たいていは覚悟を決めて飛び立つといった形にまとめている。しかし、その老人は現実に出撃命令を受けると隊員たちの大半が動転し、狂乱状態になったというのだ。
「命令を聞いたとたん、ある隊員は気絶し、ある人は失禁する。泣き喚く人もいたのです。私はそうした人を5人ほど、出撃させるために飛行機に乗せました。彼らを待っているのは死以外の何ものでもありません。当然ながら恐怖で足がすくむ。飛行機までのわずかな距離をまともに歩けない者もいた。体がよろける。座り込みそうになる。本心は特攻作戦に加わりたくないのです。死にたくないのです。そうした隊員の体を支え、操縦席に誘導しました。私は同世代の5人を死地に送ったのです。」
操縦席に座らせれば、彼らはパイロットの訓練を積んでいるから飛行機を離陸させる。ただし目的地に着ける保証はない。死への恐怖で一種の錯乱状態に陥り、鹿児島湾に墜落することも少なくなかったという。中には覚醒剤を注射されて恐怖心を軽減されて出撃したケースもある。
そう考えると、5人の搭乗を手伝った自分はさながら死神である――。彼は自分が殺したと70年近く悩んできたというのである。今、自らも死を前にして彼らへの申し訳なさをあなたに伝えておきたい、心を落ち着かせて死んでいきたい、ともつぶやいた。彼らの御霊に朝夕祈っているとも漏らした。
これを読んであらためて特攻を美化してはいけないと思いました。特攻を美化する小説や映画が多くの人に影響を与えるのは怖いことです。再び戦争になったときに国家が若者たちに特攻のような行為を強制する可能性は否定できません。小説や映画の作品を通じた“印象操作”によって「特攻は愛国心の発露であり美しい」という世論が形成されるのは危険なことだと思います。安倍総理の周辺には、特攻を美化しがちな人が集まっているようですが、そのことも気になります
特攻を美化する人たちは、戦争の本質から目をそむけていると思います。特攻作戦を立案した軍人ですら自嘲的に「外道」と呼んだ作戦です。そんなものを美化してはいけないし、特攻で亡くなった人たちも後世の日本の若者たちに同じことをしてほしいとは思っていないことでしょう。
もちろん中には勇ましく特攻機に乗り込んだ若者もいたでしょうが、そうでない方がふつうだったのではないかと思います。美談は広く語られますが、そうでない部分は隠されがちです。特攻の裏にある醜い事実から目をそむけてはいけないと思います。泣き叫びながらいやいや特攻させられた若者たちを忘れてはいけないと思います。
一方、この本では、田中角栄首相が、兵士として戦争に参加しながら、戦争をまったく美化しない人として描かれています。そこに田中角栄政治の健全さを見い出しています。国家主義の安倍晋三と国民生活を重視した田中角栄という対比も興味深い切り口です。
田中角栄は戦争体験者だからこそ「とにかく戦争は嫌だ」という生理的な嫌悪感を持っていたようです。そういう戦争体験者ならではの健全な戦争への嫌悪感が、かつての多くの総理大臣にはあったように思います(数少ない例外は安倍総理のおじいさんの岸信介でしょうか。)。
その他、「戦間期の思想」という章がおもしろかったです。保阪正康さんの「田中角栄と安倍晋三」(朝日新書、2016年)、おすすめします。