自民党の小泉進次郎衆議院議員が何か言うと、何でも注目されます。小泉氏の提唱する「子ども保険」もやはり注目されています。子育て支援の財源を「子ども保険」でまかなおうという、一見すると良さそうな提案です。
しかし、これは「目的は正しくても、手段がまちがった政策」の典型例です。趣旨には賛同できますが、やり方はまちがっています。
この「子ども保険」というのは、厚生年金・国民年金の保険料に上乗せして徴収し、子育て関連支出にあてるという趣旨のようです。幼児教育や保育にあてるのか、児童手当のような給付になるのかは、はっきりと決まっていないようです。とにかく「子どものため」の財源確保策です。
「子育て支援の拡充が必要」というのは、その通りです。私もそう思います。しかし、そのための財源が「子ども保険」というキャッチーなネーミングの「保険料」ではダメな理由をご説明します。
まず「税」と「社会保険料」の性格の違いがあります。税には強制性があり、払わないという選択肢はありません(脱税は罪です)。他方、社会保険料は払っていない人(払えない人)もいます。その代わりに、払っていない人(払えない人)は給付を受けられません。社会保険料は、将来自分が給付を受けるために支払うお金です。介護保険、医療保険、失業保険は、どれも自分がいつか見舞われるかもしれないリスクに備える保険です。
しかし、この「子ども保険」の場合、保険料を払った人でも、子どもがいないと給付をまったく受けられません。子どものいない人(あるいは子どもが成人した人)にとっては、単なる払い損です。
同時に「子ども保険」を払っていない世帯だからといって、子どものいる世帯に給付をしなかったら、子どもの貧困対策という観点から大問題です。子育て支援をもっとも必要としている貧困家庭を排除するなら、「子ども保険」の意義はかなり薄れます。
真正面から「増税」を訴えると国民の反発を買います。実際には増税であるにも関わらず、より反発の少ない「子ども保険」という名称で逃げようとしているのは明らかです。
実質的には同じことですが、「子ども増税」というとウケが悪いから、「子ども保険」にしておこうというのは、朝三暮四と同じ発想です。おサルさんじゃあるまいし、国民はだまされません。
最近の自民党はネーミングで逃げ切るのが得意です。「共謀罪」を「テロ等準備罪」と言い換えたら、なぜか世論の支持率が高まりました。同じ発想で「子ども保険」というキャッチーなネーミングで世論に訴えようとしているのだと思います。
ある意味で「子ども保険」は上手なやり方かもしれませんが、不誠実だと思います。堂々と「子どものために増税が必要です」と言うべき時期にきていると思います。民進党は増税から逃げるべきではありません。子育てや教育、介護や医療、障がい者支援を充実させるためにはもう増税から逃げられません、とハッキリ宣言すべきです。
もう20年近く言われてきた「ムダ削減で財源確保」というのは限界です。福祉や教育などでは「ムダ」とはいえないものまでカットしてきました。もちろんカットすべきものはまだあります。安倍政権の補助金バラマキで「新規のムダ」も発生しているので、それはカットしましょう。しかし、ムダ削減だけでは、必要な財源確保は不可能な段階に来ています。
それから「アベノミクスの経済成長による自然増収で財政再建」というのも絵に描いた餅でした。借金は増える一方ですし、社会保障の抑制傾向は変わりません。医療や介護の自己負担増の傾向も変わりません。経済成長を前提にしなくても、安心できる社会保障制度を確立する方法を探るべきです。もちろん経済が成長したらそれはラッキーですし、ボーナスです。しかし、経済が成長しなかったら、社会保障が崩壊するというのでは困ります。そしていまの日本は困った状態に陥っています。
経済成長を前提としなくても、将来不安の少ない社会をつくるための政策パッケージが、民進党が検討している「尊厳ある生活保障」という考え方です。さて、「尊厳ある生活保障」については長くなるので、次回のブログでご説明させていただきます。